その1 私が食べられる豚を作ろう

豚肉が大っ嫌いだった。あの豚特有の臭みが嫌いだった。どんなに高級な豚肉を食べても、どうしてもほんの少しの臭みを感じていた。「だったら自分が食べられる豚を育てよう。一切の臭みのない、本当に私が美味しいと思う豚を作ろう。」安川美幸は、そんな想いで養豚場をはじめた。

しかし、全然うまくいかなかった。毎日、毎日、試行錯誤を繰り返す。安川が特にこだわったのは餌の配合だ。国内のありとあらゆる豚の餌を試し独自の配合を研究した。何回も何回も繰り返し徐々に良くはなったが、やっぱりほんの少しだけどまだ臭みを感じる。

「これではあかん」

納得いくまでやり切らなあかんと自らを奮い立たせる。ただ、こんなこだわりを持っても、当時は意味がなかったのだ。なぜなら、安川ファームの豚は市場に出れば他の豚と混ぜられてしまう。名もなき安川ファームの豚はただの国産豚としてしか扱われないのだ。だから、周りからもこれで十分だと言われた。基準さえ満たしてればそれでいいのだと。安川のやっていることは無駄なことなのだと。こだわりや情熱など今の流通の仕組みでは一文にもならない。それでも安川はこだわりたかった。安川ファームは、自分が食べられる、本当に美味しいと思う豚を育てるために始めたのだから。

だが生活も苦しかった。家族を養うだけで精一杯だった。安川ファームには豚が200頭ほどしかいない。この日本で一番小さな養豚場では、理想を追い求める余裕などなかった。理想と現実の狭間で安川は悩んだ。

その2 水の郷「越前大野」

安川ファームのある福井県大野市は名水百選に選ばれるほどの湧水が、町の至る所から湧き出ている「水の郷」だった。今でも住民の多くはこの湧水を生活用水として使っている。安川も子供の頃からこの湧水で育ったのだ。

ある日のこと、この日は夏の香りが鼻先をかすめるくらい少し汗ばむ気温だった。安川は喉に渇きを覚えていつも通りに両手で湧き水をそっとすくった。口に含んだ瞬間、その冷やっとした心地いい冷たさが口の中に広がり、ゴクリと喉を通る清水(きよみず)が五臓六腑に染み渡る。身体の隅々まで、細胞の一つ一つにまで染み渡るようなこの感覚は美味しいを通り越して生きてるという実感さえ感じた。

「やっぱ、大野の湧き水はうめえな」その時、はっとした。「水だ!」この湧水で豚を育てよう。

「命の中心には水がある」

まるで天の声が降ってきたような瞬間だった。安川はこの土地のこの湧水で豚を育てようと決めた。思い立ったら吉日。急いで軽トラに乗って地元の酒蔵に向かった。この土地の水で作った日本酒の酒粕をもらうために。そして、この湧水で育った野菜をもらいに近所の農家をまわった。豚舎に戻ると、それらを鍋に入れグツグツと煮出した。大野の湧水で育てられたもの、そして人間が食べられるものだけを豚に与える、これが安川の出した新しい答えだった。それまでの配合飼料は全部捨てた。

養豚場の仲間からは、「残飯なんかやったら肉が臭くなる」と呆れられた。豚に残飯を与えるとすぐに肉が臭くなると言うのは養豚業界の通説だった。でも安川には自信があった。そもそもこれは残飯なんかじゃない。人間が食べるのと全く同じ新鮮な食べ物だ。それを丁寧に丁寧に料理して豚に与える。試行錯誤して三年がかりで納得のいく餌のレシピを完成させた。

まず、豚舎の臭いが無くなった。動物の臭いなど全くしない。外と同じ清く澄んだ空気が安川ファームの豚舎には流れている。そして、豚肉の臭みが消えた。一切の臭みの無い豚肉が出来た。

「これなら俺も食べられる。いや、食べられるどころかこれは美味い。」安川はやり遂げたのだ。一切の臭みのない、それでいて旨味のある理想の豚肉を作ることを。

ただ、この努力は自己満足に過ぎなかった。どんなに苦労して美味しい豚を育てても、屠場に出せば他と混ぜられて、ただの国産豚として市場に出ることには変わらないのだから。それが悔しかった。でもそれは、無名の安川ファームにとって仕方のないことだった。

その3 奇跡の豚

事件が起こった。

2019年、福井県の山奥で豚コレラに感染した野生の猪が発見された。瞬く間にその影響は広がり、県内の豚のほとんどが豚コレラに感染し殺処分にされた。安川ファームのすぐそばでも豚コレラ感染の猪が確認され、その時は、「時間の問題だ。諦めるしかない。」と県の職員にも見放された。その時すでに県内の養豚場は壊滅状態。残された養豚場は安川ファームと、あと一軒のみとなった。

「ここで終わりか…」

安川も流石に豚コレラを免れるのは無理だろうと一度は腹をくくった。豚舎に行って元気に餌を食べる豚たちを眺めながら途方に暮れたのだ。そんなこととはいざ知らず、もっと餌をくれと言わんばかりに豚たちはブヒブヒと寄ってくる。

「おまえら、よう食べるなあ。美味しいやろ」元気いっぱいに鳴くその声とツヤツヤした肌、そしてその真っ黒な瞳を見ているうちに、「俺の豚は感染などしない。俺が絶対に守る」そんな想いが込み上げてきた。抑えきれないほど力強く込み上げてきた。

「俺の豚はそこらへんのやわな豚とは違う。」安川は出来る限りの手を打った。柵を設け、人の出入りを厳しく制限することで感染のリスクを減らすことを徹底した。あとは祈るだけ。豚の生きる力に賭けるしかない。

そして、数ヶ月後、豚コレラの感染がやっとおさまった。なんと、安川ファームの豚は一匹たりとも感染しなかったのだ。周りから「奇跡だ」と言われた。県内の養豚場はほぼ全滅状態の中、安川ファームの豚は一匹も感染しなかったのだから。

こうして、安川ファームは「奇跡の豚」の農場と言われるようになった。この軌跡はこの土地の水にある、と安川は確信した。

「命は水で出来ているのだから」

その4 荒島ポークの誕生

さらに、安川ファームにはチャンスが訪れる。

大野に道の駅を作るという計画が浮上した。それも県内で一番大きな規模になる計画とのこと。市もこの計画に大きな期待を膨らませていたのだが、この山奥の町の特産物と言えば野菜と山菜くらいしかない。そこで安川ファームの豚をブランド化しないかという話が持ち上がった。

夢のような話だと思った。でもそれは賭けでもあった。今までは値段を安く叩かれるとは言え、育てた豚は組合が全て買い取ってくれた。それがブランド化となると自分で豚を売らないといけない。今まで豚を育てることに必死だったから、豚を売る術など全く知らないのだ。家族のことを考えると不安でもあった。

農場の後ろには日本百名山に選ばれた「荒島岳」が聳え立つ。県内で唯一、百名山に選ばれた美しい山で、地元住民は「福井富士」と呼んで慣れ親しんでいる。いつも見ている景色だが、この時の荒島岳は勇ましく見えた。まるで荒島岳が安川ファームを見守ってくれているようだ。妻の裕子も「畑にたくさん野菜あるから食べるもんには困らんよ。やってみよう」と、夫の背中を笑顔で押した。

「ここで怖気付いてどうする」安川は決断した。18年かけてやっと作り上げた理想の豚に名前をつけて売る。他とは違うことを証明するために。

2021年4月、安川ファームは初めての自社農場ブランド豚として「荒島ポーク」と名前をつけて世に出した。荒島ポークの評判は瞬く間に広がり、今では多くのレストランと取引をしている。

安川美幸はこの名水の町大野で透き通るような味わいの豚肉を作り続ける。